シリアの金融部門は、資金の仲介や決済という基本機能を十分に果たせない状態が続く。国有銀行に資産が集中する一方、民間銀行の規模は小さく、決済は現金中心だ。世界銀行は8月7日、理事会が前日の6日に国際開発協会(International Development Association、IDA)から1億ドルを無償供与する事業を承認したと発表した。世界銀行の発表によると、資金は決済・金融市場インフラ、中央銀行の中核システム、銀行監督、金融犯罪対策の再建に充てる。
1億ドルで何を立て直すのか
事業の柱は二つある。第1は、電子決済と金融市場の基盤、信用情報を扱う仕組み、シリア中央銀行の業務システム、安全な通信網、サイバーセキュリティの整備だ。第2は、監督当局が銀行のリスクを把握するための技術、金融安定の監視、マネーロンダリング・テロ資金供与対策(Anti-Money Laundering and Countering the Financing of Terrorism、AML/CFT)の強化である。
公的銀行と民間銀行の全体を対象に、資産の健全性を独立して点検する資産査定も支援対象に入る。融資先の返済能力や担保価値を調べ、銀行の貸借対照表にどれほどの傷みがあるかを把握する作業だ。世界銀行の事業文書は、シリアでは銀行の支払い能力、流動性、資産の質、自己資本の信頼できるデータが限られるため、包括的な資産査定が必要だとしている。
年1500万件は実績ではなく成果目標
世界銀行が掲げる数値は、電子小売決済を年1500万件以上にし、事業が支える決済システムを使う個人・企業を少なくとも50万に増やすというものだ。このうち女性を15万人とする。いずれも事業の実施期間中に目指す成果であり、現在の利用実績を示す数字ではない。
実施主体はシリア中央銀行で、内部に専任組織を置く予定だ。導入はシステムの複雑さや現地の運用条件に合わせ、段階的に進める。公表済みの事業文書は、準備状況に応じて順序を決める方針を示す一方、各システムの稼働時期を記した工程表までは示していない。承認された資金と、実際に稼働する決済網の間には、調達、設置、人材育成、銀行側の接続という工程が残る。
制裁解除で開いた国際金融への回路
国際機関が金融再建に踏み込める環境は、2025年の制裁見直しで変わった。欧州連合理事会は2025年5月、安全保障上の措置を除く対シリア経済制裁を解除し、シリア中央銀行を含む24団体を資産凍結の対象から外した。米国も同年7月1日に国別の制裁プログラムを終了した。ただし、米財務省外国資産管理局(Office of Foreign Assets Control、OFAC)は、バッシャール・アサド前大統領の関係者、人権侵害や麻薬取引に関わる者、過激派などへの制裁を維持している。制裁解除はすべての相手との取引を一律に認めたという意味ではなく、銀行には相手方を確認する態勢がなお要る。
世界銀行との金融関係も戻り始めた。サウジアラビアとカタールの支援でシリアのIDA延滞債務が解消され、世界銀行から新たな資金を受ける道が開いた。その後、世界銀行は2025年6月に1億4600万ドルの電力事業を承認し、これを新政府への最初の事業と位置づけた。金融部門への1億ドルは、この再関与を決済と銀行監督へ広げる。
2160億ドルの復旧需要と1億ドルの役割
今回の資金は、シリア復旧の一部分にすぎない。世界銀行は2011〜24年の被害評価で、住宅、非住宅建物、インフラの物的再建費を1400億〜3450億ドル、中心推計を2160億ドルとした。この推計にも、事業の損失や行政サービスの回復費、文化遺産の被害は含まれない。
金融システムの整備は建物や送電網を直接復旧する資金ではない。賃金と年金の支払い、送金、企業間決済、貿易金融、政府の歳入と支出を安全に動かすための土台をつくる事業だ。電子決済件数が増えても、銀行の健全性や利用者の信頼が同時に回復するとは限らない。世界銀行はデータ保護とサイバーセキュリティ、一時的なサービス停止、本人確認書類や通信環境を持たない人が取り残されるリスクを挙げている。
日本政府がこの事業への個別拠出や実施参加を表明した公的資料は、本稿の執筆時点で確認できていない。日本から見た当面の焦点は、1億ドルの承認額そのものより、中央銀行が段階導入を予定通り進め、銀行全体の資産査定と監督強化を実際の制度運用につなげられるかにある。
よくある質問
年1500万件の電子決済は、すでに達成した数字なのか
達成済みの実績ではない。世界銀行が事業期間中の成果として設定した最低目標だ。50万の利用者と、そのうち15万を女性とする数字も同じ位置づけである。
1億ドルはシリアの銀行へそのまま資本注入されるのか
公表資料は一律の資本注入を示していない。支援対象は決済基盤、中央銀行の業務システム、監督技術、資産査定、AML/CFT、信用情報基盤などで、銀行部門の再建に必要な仕組みを整える内容だ。
欧米の対シリア制裁はすべてなくなったのか
国別の経済制裁は大きく解除されたが、全面的な無制限取引ではない。EUは安全保障上の措置を残し、米国も旧アサド政権の関係者、人権侵害や麻薬取引に関わる者、過激派などを対象とする制裁を維持している。
出典・参考資料
- Syria: World Bank Approves US$100 Million Grant for Financial Sector Modernization(World Bank)1億ドルのIDA無償資金、投資対象、年1500万件の電子決済と50万利用者という成果目標を示した公式発表
- Syria Financial Sector Rehabilitation Project (P517399), Updated Project Information Document(World Bank)事業の構成、段階導入、実施機関、データ保護・サイバーセキュリティ・利用格差などのリスクを記した事業文書
- Syria: EU adopts legal acts to lift economic sanctions on Syria(Council of the European Union)EUが安全保障上の措置を除く対シリア経済制裁を解除し、旧政権関係者などへの措置を残したことを示す公式発表
- Syria Sanctions - Inactive and Archived(U.S. Department of the Treasury, OFAC)米国の対シリア制裁プログラムが2025年7月1日に終了した一方、旧政権関係者などへの制裁が残ることを示す公式資料
- Syria Physical Damage and Reconstruction Assessment 2011–2024(World Bank)物的再建費の中心推計を2160億ドルとし、対象外の損失や推計の不確実性も示した評価報告書
- A Global Force for Good: Gulf Cooperation Council’s leadership in development finance(World Bank Blogs)サウジアラビアとカタールの支援によるシリアのIDA延滞債務解消を確認する世界銀行幹部の講演記録
- Syria: World Bank US$146 Million Grant to Improve Electricity Supply and Support Sector Development(World Bank)世界銀行のシリア再関与で最初の事業となった1億4600万ドルの電力部門向けIDA無償資金の公式発表