ベンゾ[a]ピレン(Benzo[a]pyrene)は、多環芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons、PAHs)の一種だ。食用油から検出されたという情報を読む際は、物質に発がん性があるかという「ハザード」と、実際にどれだけ摂取したかで変わる「リスク」を分ける必要がある。検出や基準超過だけで直ちに健康影響が起きるとは判断できず、反対に、色やにおいに異常がないことも安全性の証明にはならない。

油糧種子から食用油へ入る経路

食品安全委員会のファクトシートは、PAHsが有機物の不完全燃焼や熱分解で生じ、食品の乾燥、燻製、高温調理でも生成すると説明している。穀類や油糧種子、油では直火乾燥が主な生成経路の一つになる。燃焼ガスが種子へ触れる乾燥工程や、高温の焙煎・圧搾工程が原料段階の濃度を左右する。大気や土壌など、原料が育つ環境から入る経路もある。

製造工程は汚染源になりうる一方、濃度を下げる工程でもある。2025年に公表された食用油のレビュー論文は、高温処理による油脂の酸化と熱分解がPAH4の生成を促し、精製工程はPAH4を減らすと整理している。したがって、原料の汚染だけで製品の濃度は決まらない。乾燥方法、温度と時間、脱色を含む精製条件を製造側がどう管理したかが関わる。

油糧種子の乾燥から食用油の精製、充填までを示した工程図

グループ1と、一度の摂取リスクは別の尺度

国際がん研究機関(International Agency for Research on Cancer、IARC)はベンゾ[a]ピレンを「ヒトに対して発がん性がある」グループ1に分類している。これは発がん性を示す根拠の強さによる分類であり、食品に含まれる濃度や摂取量ごとの危険度を順位づけたものではない。

食品安全委員会は、JECFAが推定摂取量と毒性試験の値からばく露マージンを求め、食品中PAHsが健康へ悪影響を及ぼす可能性は低いと評価したことを紹介している。この集団レベルの評価から、基準を外れた特定ロットの安全性を逆算することはできない。個別ロットを評価するには、測定濃度、食べた量、摂取期間が要る。

日本には食品中PAHsの基準値がない

日本の制度を海外の数値へ置き換えて説明することはできない。食品安全委員会が2023年4月に更新した資料は、日本では食品中PAHsの基準値が設定されていないと明記している。農林水産省、環境省、厚生労働省による含有実態の調査や研究はあるが、ベンゾ[a]ピレンが一定濃度を超えれば直ちに日本の食品基準違反になる、という数値は同資料に示されていない。

比較材料となるのがEUの規制だ。EU規則2023/915は、消費者向けまたは食品原料として流通する油脂について、ベンゾ[a]ピレンの最大値を1キログラム当たり2.0マイクログラム、ベンゾ[a]ピレンを含む4物質の合計であるPAH4を同10.0マイクログラムとしている。ココアバターとココナツ油には別の扱いがある。この数値はEU域内の規制値で、日本での法的判定値ではない。

消費者が確かめられるのは表示と回収情報

ベンゾ[a]ピレンの濃度は化学分析で測る。透明度、色、焦げたにおいの有無から濃度は分からず、一般的な品質認証も当該ロットの分析結果と同じではない。購入時には名称、原材料、賞味期限、保存方法、販売者や製造所などの表示を確認し、製品を特定できる状態にしておくことが現実的だ。

回収が公表された場合は、事業者名だけで判断せず、商品名、容量、賞味期限、製造番号を手元の容器と照合する。消費者庁の食品安全総合情報サイトでは、食品の回収情報を品名やキーワードから検索できる。対象品なら公表された返品・廃棄方法に従う。回収対象でない製品を、同じ油種や似た商品名という理由だけで対象とみなす根拠はない。

スーパーの売り場で食用油の容器表示を確認する買い物客(イメージ)

製品の汚染と、調理中の生成を混同しない

出荷時点の油に含まれるPAHsと、家庭での高温調理により生じるPAHsは経路が異なる。容器を冷暗所で保管して酸化を抑えても、製造段階から存在するベンゾ[a]ピレンを家庭で取り除けるわけではない。保存方法は油の品質維持には役立つが、汚染ロットへの対処の代わりにはならない。

農林水産省は、高温での加工・調理によりPAHsが意図せず生成すると説明し、直火焼きした肉や魚について生成量を抑える調理法の研究を実施した。油を煙が出る状態まで加熱し続けることや、強い直火へ食品を長く当てることは避ける余地がある。ただし、特定の油種や「何回までなら再利用できる」といった一律の線引きは、この研究概要からは導けない。

家庭の台所でフライパンへ食用油を注ぐ様子(イメージ)

よくある質問

ベンゾ[a]ピレンが検出された油を一度食べたら、がんになるのか
IARCの分類だけから、個人の発がん確率は算定できない。評価には濃度、摂取量、摂取期間が必要だ。回収対象品なら、健康影響を自己判断する前に、まず公表された方法で使用を止めて製品を照合する。

色やにおいで汚染を見分けられるのか
見分けられない。濁りや異臭は油の劣化を疑う手がかりにはなるが、ベンゾ[a]ピレン濃度を示すものではない。判定には分析結果が要る。

EUの2.0マイクログラムを超えた油は、日本でも法律違反なのか
そのようには断定できない。EUの数値はEU規則上の最大値であり、食品安全委員会の資料では日本に食品中PAHsの基準値は設定されていない。販売地域と適用法令を分けて読む必要がある。

家庭で加熱すればベンゾ[a]ピレンを除けるのか
除去方法として扱う根拠はない。高温処理そのものがPAHsの生成要因になりうるため、汚染が疑われる製品を再加熱して使う対応は適切ではない。回収対象品は公表された案内に従う。