相手のスマートグラスが録画中かどうかを外から知る手がかりは、フレームに埋め込まれた小さなLEDしかない。強い日ざしの下や斜め後ろからでは、点いているかどうかの判別は難しい。オーストラリアで89豪ドルのカメラ内蔵眼鏡が発売直後に完売し、この見分けにくさが国政の場に持ち込まれた。

7月28日発売、1週間足らずで全国完売

豪州各紙が掲載したAAP配信の記事によれば、量販チェーンKmartが自社ブランドAnkoで売り出したスマートグラスは89豪ドルで、価格が下がったことが普及を押し上げているという指摘が出ている各報道はこれを、Metaがレイバンと組んで出している数百豪ドルのスマートグラスに対する低価格の代替品と位置づけており、7月28日の発売から1週間足らずで全国の店舗とオンラインの在庫が尽き、Kmartのサイトには売り切れの表示が出たchannelnewsによると、この黒縁の眼鏡は800万画素の写真と1080pの動画を撮影でき、Bluetooth通話や音楽再生、音声アシスタントも備える。価格の桁が一つ下がった装置に、上位機種に近い機能が載った形だ。

展示会でスマートグラスをかけて操作する少年(イメージ)
スマートグラスの価格はここ数年で急速に下がり、撮影機能が一般の消費者向け市場に降りてきた。(イメージ)

スマートフォンとの違いは「構えなくていい」こと

スマートフォンで撮るには、端末を持ち上げて相手に向ける動作が要る。その動作自体が周囲への合図になる。眼鏡型の装置では、視線を向けたまま撮影が始まり、外形は普通の眼鏡と変わらない。Anko製にも録画中を知らせるLEDは付いており、これはMeta製など同種の装置と共通の仕様だが、請願を起こしたジーナ・マーティン氏は、この装置が同意のない監視を後押ししうると述べている。同氏は英国とウェールズでスカート内の盗撮を独立した犯罪として立法化させた活動で知られる。

デジタル権利団体Digital Rights Watchのトム・サルストン氏はchannelnewsに対し、カメラを備えた低価格のスマートグラスは「プライバシーの悪夢」だと語り、豪州のプライバシー法制が装着型技術の進み方に追いついていないと指摘した

司法長官がOAICへ、請願は2万2000人超

圧力は行政の側にも及んだ。ミシェル・ロウランド司法長官はオーストラリア情報コミッショナー事務局(OAIC)に書簡を送り、スマートグラスの急速な普及がプライバシーに与える影響の審査を求めた。手ごろな価格が普及を押し上げ、地域社会の懸念を呼んでいるという認識を示しているOAIC側も、社会の懸念を認識しており新しい技術の広がりを注視していると説明した

民間の動きはさらに速かった。市民団体GetUpがKmartに販売中止を求める請願を立ち上げ数日で2万2000人を超える署名が集まった

Kmartは撤去には応じていない。スマートグラスは成熟し主流になりつつある商品分野だとしたうえで、法令と地域社会のプライバシーへの期待に沿った責任ある使い方を消費者に求めた。現時点で在庫はなく、買いたくても買えない状態が続く。

日本で同じ場面を捉えるのは、どの法律か

豪州の議論はプライバシー法とその監督機関を軸に組み立てられている。日本で同じ場面を扱うとき、受け皿は三つに分かれ、それぞれ守備範囲が違う。

一つ目は刑罰法規だ。2023年7月13日、性的姿態撮影等処罰法(いわゆる撮影罪)が施行されたそれまで盗撮は都道府県の迷惑防止条例が受け皿で、規制の対象が自治体ごとに異なり、撮影された場所が特定できないと処罰できない事例もあった。この法律で全国一律の規制になった。ただし対象は性的な姿態の撮影であり、街頭で他人が写り込む撮影一般を犯罪とする法律ではない。眼鏡型の装置で日常の風景を撮ること自体は、この条文の射程から外れる。

二つ目は民事の肖像権だ。最高裁は2005年11月10日の判決で、人はみだりに自己の容ぼう等を撮影されないことについて法律上保護されるべき人格的利益を持つと判示している。もっとも、撮影された事実だけで直ちに違法になるわけではなく、撮影の場所や態様、必要性などを踏まえて個別に判断される。デジタルアーカイブ学会は、こうした裁判例を整理した実務向けの肖像権ガイドラインをまとめている

三つ目が個人情報保護法だが、ここが豪州の枠組みと最もずれる。同法が定める利用目的の特定や第三者提供の制限といった義務は、個人情報取扱事業者に課される規律である。街頭で個人が私的に撮る行為をそのまま規律する条文ではない。事業者がカメラ画像を扱う場面については、IoT推進コンソーシアムと総務省、経済産業省が2022年3月に「カメラ画像利活用ガイドブックver3.0」を公表しているが、これも事業者向けの手引きだ。医療データのように機微な情報を事業者が扱う場面では、データを動かさずにAIを鍛える連合学習のような設計論まで議論が進んでいる一方、装着型カメラを個人が街で使う場面には、それに対応する枠組みがまだない。

つまり日本では、性的な撮影は刑罰、それ以外は民事の肖像権、事業者の取り扱いは個人情報保護法という三層構造になっており、その真ん中に「個人が装着型カメラで日常的に撮る」という新しい行為が落ちてくる。豪州で司法長官が監督機関に投げた問いは、法域が違っても同じ形で残る。

よくある質問

相手のスマートグラスが録画中かどうか、どう見分けるか
手がかりはフレームに組み込まれたLEDの点灯だ。Anko製にもMeta製と同様に録画中を知らせるLEDが付いている。ただし発光部は小さく、明るい屋外や斜めの角度からは気づきにくい。豪州で懸念が集まったのは、まさにこの見分けにくさである。

なぜ89豪ドルという価格が問題視されたのか
各報道は89豪ドルのAnko製を、Metaが出している数百豪ドルのスマートグラスに対する低価格の代替品として扱っている。同じような撮影機能が、価格の桁を一つ下げて手に入るようになった。ロウランド司法長官も、手ごろな価格が普及を押し上げ、プライバシー侵害への懸念を呼んでいるという認識を示している。装置の性能ではなく、行き渡る速度が論点になった。

日本で街中の撮影は法律で禁じられているのか
一律の禁止はない。2023年7月施行の撮影罪が対象とするのは性的な姿態の撮影で、日常の風景の撮影一般には及ばない。撮られた側の救済は、みだりに容ぼう等を撮影されない人格的利益、すなわち肖像権をめぐる民事の枠組みが中心になり、撮影の場所や態様に応じて個別に判断される。

個人情報保護法でスマートグラスの撮影を止められるか
同法の義務は個人情報取扱事業者に向けられた規律で、個人が私的に撮る行為を直接の対象とする条文ではない。事業者がカメラ画像を商用で扱う場合の配慮事項は、総務省と経済産業省などがまとめたガイドブックが扱っている

オーストラリアの審査はいつ結論が出るのか
OAICは審査の結論も規制の時間割も公表していない。現段階で示されているのは、社会の懸念を認識し新技術の広がりを注視しているという説明にとどまる