炭素国境調整メカニズム(Carbon Border Adjustment Mechanism、CBAM)は、EU域外で生産された対象品の体化排出量(embedded emissions)に、EU域内の生産品と対応する炭素価格を反映させる制度だ。欧州委員会は2026年1月1日から本格適用へ移り、セメント、鉄鋼、アルミニウム、肥料、電力、水素の対象品について、認可CBAM申告者となるEU輸入者または間接通関代理人が排出量を申告し、相当数のCBAM証書を納付する仕組みを示している。
日本から出荷する製造事業者というだけで、EU当局への年次申告者になる制度ではない。法定責任はEU側の認可CBAM申告者に残る。一方、申告に使う製造施設・工程・排出量の元データは域外の製造事業者が持つため、商社や部品メーカーを含む日本側の資料整備が申告の精度を左右する。
50トン基準──日本の輸出者の免除ではない
本格適用に合わせ、年間50トンの単一重量基準が導入された。2025年の改正規則は、輸入者ごとに鉄鋼、アルミニウム、肥料、セメントの全対象CNコードを暦年で合算し、純重量が50トンを超えなければ義務を免除すると定める。50トンを超えた場合は、その年に輸入した対象品全体の体化排出量が申告と証書の対象になり、電力と水素にはこの免除基準を適用しない。
基準の主語はEUの輸入者であり、日本の工場でも個々の船積みでもない。同じEU輸入者が複数の日本企業や他国の供給者から仕入れれば、対象品は輸入者側で累積する。このため自社の出荷が50トン未満でも、EU顧客から排出量資料を求められる余地がある。輸出企業は数量だけで対象外と判断せず、誰がEU通関上の輸入者となり、どのCNコードで申告するかを顧客と合わせる必要がある。
工場から顧客へ渡すデータ
最初に固定するのは製品の身元である。CBAMの対象は「鉄鋼製品」といった大分類ではなく、規則付属書に並ぶEUの合同関税品目分類(Combined Nomenclature、CN)の8桁コードで決まる。日本側で使う国際統一商品分類(Harmonized System、HS)コードとEU側のCNコードを混同せず、EU輸入者が通関に使う分類、原産国、数量を照合する。
日本貿易振興機構(JETRO)の2026年3月実務マニュアルは、対象製品、統合製品カテゴリ、製造施設、製造工程、前駆体を特定し、工程の排出量を製品へ帰属させる算定手順を示している。日本の製造事業者が顧客との受け渡し項目に置く資料は、次の五群になる。
- EU側で使う8桁のCNコード、原産国、製品量、対象期間
- 製造工場の名称と所在地、製造工程、製造経路、工程ごとの生産量
- 燃料・原料の使用量、排出係数、直接排出、該当する場合の間接排出
- 複雑品に使った前駆体の種類、投入量、製造元、体化排出量の実測値またはデフォルト値
- モニタリング計画(Monitoring Plan)、計算式、元帳・計器記録、データの版、検証報告書
会社全体の温室効果ガス排出量だけでは足りない。申告値は工場、製造工程、対象品に結びつく必要がある。共用設備の電力や燃料を複数工程へ配分した場合は、配分方法と根拠を残す。前駆体を仕入れる製品では、上流の供給者から受け取った値と対象期間を切り離さずに保管する。
実測値、デフォルト値、検証
排出量には製造施設の実測値か欧州委員会のデフォルト値を使う。実測値は自社の製造条件を反映するが、計算過程を再現できる記録と検証が前提になる。欧州委員会は、実測値を申告に使う場合、EU各国の認定機関から認定された独立検証者が施設単位でモニタリング方法、排出量計算、裏付け資料を審査し、検証報告書を出すと説明している。
データがそろわない品目にはデフォルト値を選べる。検証を要する実測値と性質が異なり、その工場の実排出量を示す値ではない。欧州委員会は2026年7月にデフォルト値の訂正规則を公表し、8月10日に参照用の表を更新した。顧客へ渡すファイルには使用した規則、表の公表日、値の出典を記し、旧版との混在を防ぐ必要がある。
欧州委員会が8月14日に公表したEU域外事業者向けの本格適用ガイダンスは、概説、算定方法、EU排出量取引制度(EU Emissions Trading System、EU ETS)の無償割当を反映する調整、6分野別の計10本で、本稿の執筆時点では英語版のみとなっている。日本語版は今後追加すると案内されている。日本企業は既存の日本語資料で期限や計算方法を固定せず、英語の現行規則とガイダンスとの差を確かめる必要がある。
域外工場向けレジストリの使い方
日本の製造施設は、同じ排出量資料を顧客ごとに別送する方法に加え、CBAM登録簿(CBAM Registry)のEU域外施設事業者向けモジュール(Operators of Third-Country Installations、O3CI)を使える。欧州委員会のO3CIは、EU域外の施設事業者が施設と排出量のデータを登録し、指定したCBAM申告者へ共有する仕組みで、機密性の高い事業情報の取り扱いにも対応する。顧客の事業者登録・識別番号(Economic Operators Registration and Identification number、EORI番号)を確認し、誰へ開示するかを社内で管理する。
レジストリ登録そのものが排出量の正しさを保証するわけではない。実測値を使うなら認定検証者の検証が別に要る。登録しない場合も、EU顧客と合意した安全な経路で同等の資料を渡し、受領者、送付日、版番号を記録する。
日本語資料とEU更新の差
日本貿易振興機構(JETRO)の実務マニュアルは、CNコードから製造施設・工程、前駆体、排出量の帰属、デフォルト値、O3CIまでを日本語で整理する一方、内容は2026年2月10日時点で入手できた情報にもとづくと明記している。欧州委員会による8月のデフォルト値訂正と新ガイダンス公表はそれより後である。日本語資料は算定作業の全体像の把握に使えるが、申告に使う値と分野別要件はEUの最新版との照合が要る。
初回期限は2027年9月30日
欧州委員会の2026年版資料は、2026年輸入分の最初の年次申告とCBAM証書の納付期限を2027年9月30日としている。期限はEU申告者にかかるが、日本側の資料回収と検証はその前に終える必要がある。企業の準備順は次の通りだ。
- EU顧客と輸入者、間接通関代理人、認可CBAM申告者の関係を図にする
- 対象候補を8桁のCNコードで洗い出し、工場と製造経路をひも付ける
- 工程別の燃料、電力、原料、製品量、前駆体の原記録を同じ期間でそろえる
- 実測値を使う品目とデフォルト値を使う品目を分け、実測値には検証日程を置く
- O3CIか顧客指定の様式で共有し、送付したデータの版と閲覧権限を保存する
取引先から表計算ファイルが届いてから数字を埋めるだけでは、工程境界や前駆体の対象期間が合わないおそれがある。CNコード、工場、製造工程、原記録、検証報告を一つの履歴として管理すれば、顧客やデフォルト値が変わったときにも再計算の範囲を特定しやすい。
よくある質問
日本の輸出企業がCBAMの年次申告をするのか
日本法人が輸出者であるだけでは年次申告者にならない。法定の申告者はEUの輸入者か、条件に応じて間接通関代理人となる。日本の輸出企業は、申告者が使う製造施設・工程・体化排出量の資料を提供する立場になる。
50トン未満なら資料を用意しなくてよいのか
自社の出荷量だけでは決められない。50トンはEU輸入者が暦年に輸入する鉄鋼、アルミニウム、肥料、セメントの対象品を合算して判定し、電力と水素はこの免除の対象外だ。顧客の累計が基準を超える場合に備え、対象品の確認とデータの受け渡し条件を先に合わせる。
実測した排出量がない場合はどうするのか
EU規則が定めるデフォルト値を使う選択肢がある。2026年分の値は訂正済みであり、参照した版を記録する。実測値へ切り替える場合は、算定記録と認定検証者による検証を準備する。
2026年輸入分はいつまでに申告するのか
認可CBAM申告者が2027年9月30日までに年次申告を提出し、対応するCBAM証書を納付する。日本側の資料提出期限はEU顧客との契約や検証日程で前倒しされるため、取引先ごとに確認する。
出典・参考資料
- European Commission. CBAM definitive regime(European Commission)2026年1月1日の本格適用開始、対象6分野、申告主体に関する公式概要
- Regulation (EU) 2025/2083 simplifying and strengthening the carbon border adjustment mechanism(EUR-Lex)50トン基準の対象と判定単位、電力・水素の例外、2027年9月30日の初回申告・証書納付期限を定めた改正規則
- European Commission. Verification of CBAM emissions(European Commission)実測値を用いる場合の認定検証者、施設単位の検証、検証報告書に関する公式説明
- European Commission. CBAM Registry(European Commission)EU域外工場向けO3CIの登録、排出量データの共有、機密情報の取り扱いに関する公式案内
- European Commission. CBAM legislation and guidance(European Commission)本格適用期の法令、2026年7月のデフォルト値訂正规則、2026年8月公表の域外事業者向けガイダンス一覧
- European Commission. CBAM communication and news(European Commission)2026年輸入分の初回申告・証書納付期限、実測値とデフォルト値に関する2026年版ファクトシート
- EU炭素国境調整メカニズム(CBAM)に対応する排出量の算定実務マニュアル(日本貿易振興機構(JETRO))CNコード、製造施設・工程、前駆体、排出量の帰属、デフォルト値、O3CIまでを日本語で整理した2026年3月資料