医療デジタルツイン(Health Digital Twin)は、特定の患者、臓器、または生体システムに対応するデジタルモデルを、診療記録や画像、検査値、センサー情報で更新し、仮想条件下の変化を調べる技術だ。モデル上で条件を変えた結果を、研究や医療チームの判断材料へつなぐ。

ただし、産業分野向けの厳密な定義と、医療研究で実際に使われる呼称には幅がある。英国政府の公式定義は、現実の対象との結び付き、現実世界との双方向の情報流、明示した検証範囲と仮定、意思決定に合う時間内の更新を要件に置く。これに対し、大阪大学社会技術共創研究センターが2026年に公表したレビューは、医学研究では「デジタルツイン」の意味と使われ方が統一されていないと整理している

2024年のスコーピングレビューは、患者デジタルツインを名乗る80件を抽出したが、78件は前臨床段階だった。患者からモデルへの一方向のデータ流が58件を占め、双方向の連携を備えたものは9件に限られた。名称が同じでも、臨床での成熟度や患者との接続方法はそろっていない。

医療従事者が画面上で診療記録、医用画像、生体センサーのデータを確認する様子(イメージ)
診療記録、画像、検査値、センサー情報を一人のモデルへ対応付ける。(イメージ)

境界──電子カルテ、予測AI、合成患者との違い

電子カルテは、診断、処方、検査、経過など、すでに起きた診療を記録する基盤である。一般的な予測AIは、集団データから学んだ規則を入力へ適用し、分類や数値を出す。医療デジタルツインは、特定の患者や臓器に対応するモデルを持ち、新しい実データで状態を合わせ、条件を変えたシミュレーションを判断へ返す点で異なる。

一枚の磁気共鳴画像、一本の血糖曲線、疾患リスクを一度だけ計算する分類器は、それぞれ有用でも、そのまま患者デジタルツインにはならない。患者に結び付かない合成患者も別の技術だ。JMIRのレビューは、患者や臓器、生体システムを見える形で表し、患者固有の多面的な情報を持ち、意思決定に情報を与えることを実務上の境界として提案した。

「リアルタイム」に一律の秒数もない。心拍の監視と、画像検査ごとに更新する治療計画では、判断に必要な時間が違う。更新間隔、入力データ、適用する患者、試せる仮想条件を用途ごとに固定し、その外側へ結果を広げない設計が要る。

医療用コンピューターに表示された複数の仮想条件の比較画面(イメージ)
モデルが示すのは、入力データと仮定にもとづく条件別の予測である。(イメージ)

仕組み──データ、モデル、更新、判断の四層

データを患者と時間軸へそろえる

npj Digital Medicineの整理では、医療デジタルツインは患者の多面的なデータ、集団データ、患者と環境の変化による更新から構成され、臨床実装には計算資源、データ統合、現場への組み込み、データガバナンス、製品監督が課題として残る。診療記録、検査値、医用画像、遺伝情報、ウェアラブル端末、生活環境という複数形式のデータを集めるだけでは足りない。患者IDの対応付け、測定時刻、単位、欠測、機器差をそろえなければ、モデルは別の時点や別人の状態を混ぜる。

用途を限定した個人モデルを組む

モデルには、生理機構、統計、人工知能(Artificial Intelligence、AI)、臨床ルールを組み合わせる方法がある。全身を一つの精密な模型へ写す必要はなく、心臓の動き、脳活動、治療計画、病院の資源配置など、先に定めた用途に必要な範囲を表現する。構造が細かいほど正しいとは限らず、観測データで確かめられる変数と仮定を区別する必要がある。

新しいデータで状態を更新し、仮想条件を比べる

新しい検査やセンサーの値が入ると、モデルは現在の状態を更新する。その複製に仮想の条件を与え、結果の差を比較する。出力は確定した未来ではなく、入力、モデル、仮定、検証範囲に依存する推定だ。患者層や測定機器が変わった場合は、同じ名称のモデルでも予測の信頼性を再評価する。

出力を医療チームの手順へ戻す

予測値を表示するだけでは、診療の安全性は決まらない。誰が結果を受け取り、元データと照合し、最終判断を記録するか、入力不足やシステム停止をどう知らせるかまで一つの運用に組み込む。用途定義、データ整備、人の確認、導入後監視をつなぐ手順は「医療AIを現場へつなぐ四段階」で整理している

日本の現在地──公的資料で追えるのは用途限定の研究

国内では、患者全身を扱う一つの完成品より、用途を絞った研究が公的資料から確認できる。大阪大学は、ヒューマン・メタバース疾患研究拠点(WPI-PRIMe)で、AIによる病気の発症予測モデルを取り入れた患者デジタルツインを開発していると2025年3月の公式インタビューで説明した。記載は開発目標であり、一般診療での提供開始や臨床効果を示す資料ではない。

より限定された実例が「デジタルツイン脳」である。国立精神・神経医療研究センターと東北大学の研究グループは2026年2月、精神疾患患者と健常者を含む228人の機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging、fMRI)データを使い、個人の脳活動と行動を生成するモデルを構築・検証したと発表した。公表資料が示す検証対象は特定の認知・感情課題で、今後は日常生活の複雑な行動へ範囲を広げる計画だ。患者の診断や治療選択を担う日常診療システムとして示されたものではない。

全身へ範囲を広げる国の研究構想もある。科学技術振興機構(JST)のムーンショット目標2は、臓器間ネットワークを記述するデータベースと数理モデルを統合し、健康状態の不安定化を予見するシミュレーターの開発を掲げる。目標年は2050年である。現在の診療サービスではなく、長期の研究開発目標として読む必要がある。

国内の医療機関で、全身を扱う患者デジタルツインが日常診療に導入されたことを示す公的資料は、本稿の執筆時点で確認できていない。これは存在しないという断定ではなく、公開資料から導入範囲と検証結果を確認できないという情報上の限界を示す。

研究室でAIと医用画像の解析画面を確認する研究者ら(イメージ)
国内の公開事例は、脳や発症予測など対象を限定した研究が中心である。(イメージ)

臨床利用への三つの関門

検証──学習した施設の外で再現するか

第一は、モデルがどの患者、機器、条件で成り立つかを示す検証だ。開発用データと評価用データを患者単位で分け、可能なら施設も分ける。全体成績に加え、年齢、性別、疾患の程度、撮像機器、測定条件ごとの誤りを調べる。仮想条件への反応は、観測された結果や臨床的に妥当な参照基準と照合する。

医薬品医療機器総合機構(PMDA)の開発手引きは、学習用と評価用のデータを同じ施設で集めると、患者、撮像機種、撮影法、診療体制に由来する偏りを強く受け、他施設の成績と離れる可能性があると指摘する。年齢、性別、疾患の程度、機器、撮像条件を評価データへ含める考え方も示す。デジタルツインでも、個人化という名称が外部検証の代わりにはならない。

個人情報──診療目的と研究・開発目的を分ける

第二は、データの利用目的、アクセス権限、保存期間、第三者提供を分けた管理だ。モデルが扱う診療記録、画像、健診結果、遺伝情報は、漏えい時の影響が大きい。診療のために取得した情報を研究、製品改良、再学習へ回す場合は、当初の目的と同じと決め付けられない。

個人情報保護委員会と厚生労働省のガイダンスは、診療記録にある病歴、診療・調剤情報、健診結果などを要配慮個人情報に挙げ、取得と個人データの第三者提供には原則として本人同意が必要だと示す。要配慮個人情報のオプトアウトによる第三者提供も認めていない。法令上の例外や研究倫理指針が適用される場合はあるが、デジタルツインという技術名から利用条件は決まらない。

医療機器規制──名称ではなく使用目的とリスクを見る

第三は、ソフトが診療で担う役割の確定だ。研究用のシミュレーター、健康情報の表示、診断支援、治療計画の提示では、規制上の位置が異なる。厚生労働省は、医療機器としての目的があり、意図どおり機能しない場合に患者や利用者の生命・健康へ影響するおそれがあるソフトを、薬機法上の医療機器プログラムとして扱う。医療デジタルツインという呼称だけで該当性や承認の有無は判断できない。

導入時には、使用目的、対象患者、入力、出力、最終確認者、停止時の代替手順、モデルとデータの版、更新後の再試験を同じ記録へ結び付ける。研究論文で示した精度、医療機器としての承認、院内環境での検証、導入後の監視は別の証拠であり、一つを残りの代わりに使えない。

サーバー、アクセス権限、健康データの保護を示す画面(イメージ)
検証範囲、データ権限、モデルの版を一続きの記録に残す。(イメージ)

よくある質問

医療デジタルツインは電子カルテと同じか
同じではない。電子カルテは診療記録を保存する基盤で、医療デジタルツインは特定の患者や臓器に対応するモデルへデータを結び付け、仮想条件を計算する。電子カルテは入力源の一つになりうる。

モデルが示した治療候補をそのまま選べるのか
選べない。出力は入力データ、仮定、対象患者、検証範囲に依存する推定である。臨床で使う場合は、承認された使用目的、医療機関での検証、人による確認と記録が要る。

日本で全身型の患者デジタルツインを利用できるのか
国内ではWPI-PRIMeの患者デジタルツイン、AMED支援のデジタルツイン脳、JSTの全身ネットワークシミュレーターなどの研究を確認できる。一方、全身型が日常診療へ導入されたことを示す公的資料は、本稿の執筆時点で確認できていない。