匿名医療保険等関連情報データベース(NDB)は、公的医療保険の電子レセプトと特定健診・特定保健指導、死亡情報などを厚生労働省が蓄積する全国規模のデータベースだ。AI(Artificial Intelligence)の学習材料になりうるが、利用の承諾は臨床性能の証明ではない。研究目的とデータ項目の審査、請求データに合わせた正解ラベルの設計、実際の患者と診療環境を反映する独立検証を別々に通す必要がある。

公的医療保険データをAI学習へつなぐ三段階の検証フロー図
NDBを使うAI開発では、利用審査、データ品質、臨床検証を切り分ける。

第一関門──NDBが持つのは「診療の請求記録」

厚生労働省が2026年6月に公表した報告では、NDBの収載件数は同年1月末時点でレセプト約307億9800万件、特定健診等情報約4億7800万件、死亡情報約277万件に達した。これは記録の件数であり、重複を除いた患者数や、AI開発に直ちに使える学習例の数ではない。

厚生労働省の2026年6月版マニュアルは、NDBに2009年4月診療分からの医科、診断群分類(Diagnosis Procedure Combination、DPC)、歯科、調剤の電子レセプトを収載し、訪問看護は2024年7月請求分から、特定健診・特定保健指導は2008年度実施分から蓄積していると説明する。レセプトの主な項目は性別、年齢、診療年月、傷病名、診療行為や医薬品のコード・量・回数、請求点数である。特定健診には身長、体重、血圧、血糖、肝機能、喫煙歴、飲酒などが入る。

規模の大きさと臨床情報の深さは同じではない。同じマニュアルは、レセプトを保険者へ診療報酬を請求するための明細と位置づけ、分析を想定した形式ではないと明記する。紙レセプトは収載されず、保険外診療も対象から外れる。診療録の自由記載、診察時の所見、検査画像そのものをそろえた完全な電子カルテとして扱うと、入力と目的の間にずれが生じる。

NDBが強みを持つのは、保険診療の中で誰にどの診療行為や薬剤が請求され、その後の受診がどう続いたかを大きな集団で追う分析だ。個々の患者の急変や画像所見を直接判定するモデルでは、必要な臨床情報がNDBの項目にあるかを先に確かめる必要がある。データ量から用途を決めるのではなく、予測したい結果から必要項目を逆算する順序になる。

第二関門──利用承諾は研究計画ごと

NDBは一般公開された患者単位データではない。現行のNDB利用ガイドライン第3.1版は、国や自治体、大学、研究開発法人に加えて民間事業者も提供申出者に含める一方、利用目的を国民保健の向上に資するものとし、特定商品・役務の広告や宣伝を認めず、申請項目を研究に必要な最小限に絞るよう定めている。特別抽出などでは原則として倫理審査委員会の審査も要る。会社がAIを開発するという説明だけで利用が決まる仕組みではない。

利用方法は、研究者側が解析環境を整える媒体提供、クラウド上の医療・介護データ等解析基盤(Healthcare Intelligence Cloud、HIC)、指定拠点から接続するオンサイトリサーチセンターの3種類に分かれる。HICは2023年11月に稼働した。データの種類ごとに審査、利用期間、安全管理、成果物の持ち出し方が異なり、承諾を得た範囲の外へ患者単位データを自由に移せるわけではない。

日程と費用も開発条件になる。厚生労働省は2026年3月時点で、新規の提供申出から特別抽出データや集計表の提供まで300日以上かかる場合があると案内し、2024年10月の政令改正後は申出内容によって高額の手数料が生じるとしている。NDBを前提に製品日程を組むなら、事前相談、倫理審査、抽出条件の調整、公表前確認をモデル開発の工程表へ入れる必要がある。

スマートフォンの医療保険サービス画面で健康情報の利用項目を確認する人物(イメージ)
NDBの患者単位データは、研究計画と利用環境の審査を経て扱う。(イメージ)

第三関門──傷病名をそのまま正解ラベルにしない

請求欄の傷病名と、臨床上確定した診断は常に一致するとは限らない。厚生労働省の審議会資料は、レセプトに疑い病名を含む複数の病名が付くため、患者の真の病態を反映しない病名が含まれる可能性を挙げ、複数の傷病名や検査を組み合わせた定義、既存統計との比較、レセプト解析と臨床の専門家による検討を必要な対応として示した

AI開発では、この問題が教師データのラベルに直結する。傷病名コードが一度付いたことを発症とみなすのか、処置や薬剤のコードを組み合わせるのか、疑い病名を除くのか、観察期間を何日取るのかで、同じNDBから別の正解が生まれる。対象患者、予測時点、観察窓、除外条件、ラベル定義、欠損の扱いを版として固定しなければ、モデルの再現と比較が崩れる。

保険制度や診療報酬の改定にも注意が要る。新しいコードの追加や包括払いの変更によって、医療の実態が同じでも記録の現れ方が変わる場合がある。年度をまたぐ学習では、コード表と制度改定日をデータ辞書に残し、変化が臨床上の差なのか請求規則の差なのかを切り分ける作業が要る。

研究者が医療保険データの欠損と年齢層別の分布を画面で確認する様子(イメージ)
請求コードをAIの正解ラベルに変えるには、定義と妥当性の検証が要る。(イメージ)

訓練データと臨床検証を切り分ける

NDBでモデルを作れても、同じNDBの一部を無作為に分けただけでは、導入先での性能を十分に示せない場合がある。国際医療機器規制当局フォーラム(IMDRF)が2025年に最終化した優良機械学習実務(Good Machine Learning Practice、GMLP)の10原則は、対象患者と使用環境を代表するデータを訓練、テスト、監視に用い、訓練用とテスト用データの患者、施設、取得経路に由来する依存を避け、リスクに応じた外部検証を行うよう求める

日本の評価資料にも同じ境界がある。厚生労働省が2019年に公表した画像診断支援AIの評価指標は、学習に使うデータベースの運営者、収載データ、管理手順を示し、性能検証用のテストデータを学習・バリデーションデータから切り離し、対象集団を説明できる質と量を確保するよう求めている。対象は画像診断支援システムであり、この指標を請求データモデルへ一律に適用する法的根拠にはならない。それでも、データ提供の承諾と製品性能の検証が別工程だという線は明確だ。

臨床で患者ごとの判断に使うソフトは、用途によって薬機法上の医療機器プログラムに当たりうる。厚生労働省は、医療機器としての目的があり、意図した通りに機能しない場合に患者や使用者の生命・健康へ影響するおそれがあるプログラムを規制対象と説明している。NDBの利用承諾、医療機器としての評価、病院側の受入試験は代替関係にない。

医療従事者とデータ分析担当者が会議室でAIの検証結果を確認する様子(イメージ)
臨床導入では、対象患者、診療フロー、人の最終判断を含めて性能を確かめる。(イメージ)

国内では機械学習研究、臨床導入の全体像は未確認

NDBを機械学習に使った国内の公表例はある。厚生労働省が2026年6月にまとめた成果物一覧には、広島大学の研究者らがNDBデータと機械学習モデルで免疫グロブリン製剤の使用動向と将来需要を分析し、2025年度の成果として第36回日本疫学会学術総会で発表した例が載る。公的データベースを機械学習へ使えることを示す一方、この用途は製剤の需要予測であり、患者ごとの診断を支援するモデルの臨床導入ではない。

NDB由来モデルの臨床導入件数、承認品目との対応、導入施設ごとの外部検証結果を横断して示す公的資料は、本稿の執筆時点で確認できていない。これは該当する製品や院内研究が存在しないという意味ではない。公開情報だけでは、どのモデルがNDBのどの項目を学習に使い、どの患者群で検証され、導入後に性能がどう推移したかを結び付けられないという情報上の限界である。

提案書で分ける五つの記録

NDBを使うAI提案では、利用目的と臨床上の用途、入力項目と抽出期間、傷病名・処置・薬剤を組み合わせたラベル定義、患者と施設の重複を避けた訓練・バリデーション・テストの分割、導入先での外部検証と監視・停止条件を別々に記録する。この五つがそろって初めて、データを使う資格、モデルを評価する方法、臨床で使い続ける責任の境界が見える。

よくある質問

民間企業はNDBでAIを開発できるのか
民間事業者も提供申出者になりうる。ただし、研究計画ごとの審査があり、目的は国民保健の向上に資する必要がある。特定商品の広告・宣伝は認められず、必要最小限の項目、安全管理、成果の公表方法を示す。

NDBの傷病名を正解として学習すればよいのか
傷病名だけでは足りない場合がある。疑い病名や請求上の記録を含むため、対象疾患に応じて処置、薬剤、検査、観察期間を組み合わせ、外部の臨床情報や既存統計で定義の妥当性を確かめる必要がある。

NDBで高い精度が出れば病院で使えるのか
NDB内の成績だけでは決まらない。対象患者と導入施設を反映した独立データ、人とAIを合わせた診療フロー、誤りへの対応、導入後の監視を検証する。患者ごとの診療判断に使う用途では、医療機器プログラムへの該当性と必要な薬事手続きも別に確認する。